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連歌・鳥の歌@博多、長いトークに疑問符だらけ

11月28日、[連歌・鳥の歌]コンサートが博多イムズホールにて行われた。

コンサート全体としては、疑問符と、悶々とした蟠りが残るコンサートだった。

一連の[連歌 鳥の歌]コンサートに流れていた温かい心、人と人がつながる素晴らしさは、まったく感じられなかった。

それは、演奏者の皆さんが原因ではない。演奏者の皆さんの温かい心遣いや想いは、今回も変わらなかった。もっと皆さんの演奏を聴きたかった。もっと皆さんのお話を伺いたかった。

だが、司会者の言動によって打ち消され、全体を通してみると、司会者の偏向的なパフォーマンスだけが目につくコンサートだった。

今回のレポートは「全体感想ページ」と「演奏者の皆さんのページ」とを分けて記述する(演奏者皆さんのページはこちらから

連歌 鳥の歌@博多:亀山司会者のパフォーマンス

[連歌 鳥の歌]コンサートは約2時間、一般的なコンサートよりも少し短い。演奏者の善意によって行われるのだから、それは当然である。

短時間がわかっているのに、何故、司会者のパフォーマンスに多くの時間を費やしたのだろうか?

ナターシャ・グジーさんの演奏4曲、木下航志さんの演奏3曲(2曲は部分演奏なので実質計2曲)が終わり、ようやく少し「音楽を聴くモード」になってきたところで、司会者 亀山みゆき氏による長い長いトークが始まった。透けて見える本心にも白けて、音楽を聴く氣はすっかり冷めた。

冷めきったところへ吉田兄弟を登場させて、彼らの楽曲の中でも確実に盛り上がる曲を続けて演奏し、半ば強引に心拍数を上げさせる......。

これは、短時間ライブを考慮(危惧)した井上鑑さんによる采配だと思われる。この采配は正しかった。演奏者の皆さんの"お客さんを盛り上げよう"とする気遣いも感じられたし、楽しそうな様子も微笑ましかったし、お客さんたちもすすんで手拍子をして盛り上げた。

だが、最後。

司会者のさらなる偏向的パフォーマンスによって、結局は、印象の悪いコンサートとして幕を閉じた。

京都イベントと同じく、疑問符と蟠りだけが残った。

 

司会者が登場したのは、木下航志さんの演奏が終わったときだった。

木下さんをステージ前方に呼び寄せて、彼のことを大々的に紹介する。未熟児網膜症で光を失った彼は音楽に出合い、歌を歌ってピアノを弾いて音楽活動を続けている。

彼の歌声は、[連歌 鳥の歌]のページや、No Nukes Gigにて生演奏も聴いた。自由に旅する吟遊詩人のような、溌剌とした感性をもっている。

司会者の長い話を要約すると、「路上ライブをやっている彼を発見したのは私だ」「私が主催するライブで演奏してもらおうと思っていた」「今日は彼のご両親と涙涙涙の再会を果たした」「傷心のお母さんを勇気づけたのは私のブログだった」「こういう彼が音楽に出合ったのは素晴らしい!」 etc......。

今日の演奏者は計10名。その10人の中で、特別扱いでの紹介である。

もし彼が、「幼い頃からの知り合い」という関係だけだとしたら、短時間のコンサートの中でわざわざ時間を割いて紹介することは無かったであろう。

特別扱いしたのは、彼が障碍者だったから、である。

これでは、差別だ。

「障碍者」というレッテルを貼り付けて、彼を差別して、おとしめている。

彼が歌ってくれた『鳥の歌』の歌詞の中に、「見えない壁を隔てるものはなんだろう?」とあった。壁の正体はまさしく、今回の司会者の行為、「この子は、障碍者なんですよ。なのにスゴイでしょう!?」と差別する行為だ。

ステージ上、木下さんの微笑みが痛々しい。くやしくてたまらない。

障碍をもって生まれてしまうと、諦めることが多くなる。どんなに頑張っても、同じことはできない。諦めないと生きていけないから、[諦めじょうず]にならざるを得ない。諦めたとき、人は何故か微笑んでしまう。

 

木下さん。

こういう歪んだ賛辞には、堂々と怒れよ。諦めて、慣れてしまうな。

諦めてしまった氣持ちは、蓄積していく。ひずみを生んでしまう。

あなたの歌声と才能は、本当に素敵だ。

ただし、才能と障碍とは、まったく関連性が無い。

才能と障碍を一組にして紹介するひとは、

「あなたのため」なんて、これっぽっちも思っていない。

自身にとって利用価値があるから、利用したに過ぎない。

悪用されていることにも、堂々と異議を唱えていいよ。

あなたには、その権利がある。屈する必要なんか、どこにもない。

 

ステージ上のトークはまだまだ続く。

木下さんと入れ替わりに、[連歌 鳥の歌]プロジェクト主催者の井上鑑さんを呼び寄せて、[連歌 鳥の歌]の紹介が始まった。

『鳥の歌』について、鑑さんが手短に説明。続けて、このプロジェクトに司会者が関わるようになった経緯を能弁に説明。さらに、ナターシャ・グジーさんも呼び寄せて、チェルノブイリ原発事故で被爆したことをナターシャさんご本人が手短に語る。

司会者の長い話を要約すると、「10人ものアーティストを呼べたのは素晴らしい、博多のチカラだ」「イムズホールのCDショップで夫が買ったものが、なんと『鳥の歌』だっ た」「夫が他界した今『鳥の歌』は私がやらねばならないと確信した」、「私が、このプロジェクトの発起人である」etc......。

チラシにも、"「連歌・鳥の歌」発起人"と書かれているが、この表現は正しくない。

2013年11月30日現在、[連歌 鳥の歌]の発起人リストページ(Founders)には、18人の名前が連なっている。司会者 亀山氏は18人中の1人であって、亀山氏1人が発起人なのではない。

ライブ中の言い方といい、チラシの書き方といい、まるで、亀山氏お1人が発起人であるかのような印象を受ける。そう誤解されるような書き方や言い方を敢えて選んでいる氣がするのは、考え過ぎだろうか?

 

さらに続けて、「サイトの作品をみんなで観ましょう」ということで、ステージ中央にスクリーンが用意された。

まずは、木下さんボーカル、鑑さんアコーディオン、ASTUSHIさんダンスによる『鳥の歌』。映像には音声も入っているが、司会者が投影中にいろいろと解説するので、実質は「観る」だけと変わらない。写真を1枚~2枚を見せられて解説されたのと同じ状態である。

同様にして、ミステラ・フェオのコーラスによる『鳥の歌』、鬼太鼓座(おんでこざ)の和太鼓による『鳥の歌』。これまた同様に、きちんと聴くことはできなかった。

しかも、映し出された映像は、すべて、4/14の京都イベントの映像とまったく同じ。4月イベントの映像を使い回したことはあまりにも明らかだ。4月から半年も経過している。あのときからさらに20組以上の作品が掲載されているのだが、その説明もない。

この中途半端な映像と音声で、今日初めて『鳥の歌』について知った一般客が理解できるのだろうか? さわりの部分を中途半端に見せた状態で、[連歌 鳥の歌]サイトに興味をもって閲覧してくれるお客さんがいるだろうか? お金を払ってコンサートにきてくれたお客さんは、「音楽が聴きたくて」来たのである……。

 

さらには、サポーター募集(=賛助金)の呼び掛け。

「1,000円から可能です」「5,000円でDVDが付きます」と司会者は強調する。

Webサイト上のデータは、どうしても圧縮して掲載しなければならない。一方、DVDは収録したときの高画質の状態で保存できる。「5,000円払うとお得ですよ」と言いたいらしい。

今日初めて『鳥の歌』を聴いた一般客が、賛助金を払うことは期待しにくい。4,000円のコンサート代を払っているのだから、それで充分だと思っても不思議はないだろう。

ただし、今日は「招待客」が異様に多かった。

招待客は、開演前から特別入場が可能で、「座るところがないから、会場内でお待ちください」と促され、何人もの招待客が関係者入口から入っていった。

座るところがなくて一般客がボンヤリと列をなして立っているその横をすり抜けて、何人もの招待客が開場時間前に先に会場内に入っていった。

招待された客は、招待された「弱み」があるから無意識でお礼を考える。そこへ、賛助金の呼び掛け。1,000円ぐらいなら、いいかなと考えるだろう。5,000円払っても、コンサート代がかからない分、たいした負担にはならない。招待されるぐらいだから、司会者とはビジネス上のつながりもあるのだろう。ここで顔を売っておけば、ビジネス的にもプラスになるのかもしれない。

今回のコンサート後にサポーターの申し込みが増えたとしたら、それは「演奏に感動したから」ではない可能性が高い。心理的な弱みに付け込まれたうえでの、サポーターの申し込みだ。

同じように賛助金が集まったとしても、そのもつエネルギーはまったく異なってくる。

司会者は音楽に関わる仕事をされているという。音楽に関わる仕事をされているという司会者が、何故、音楽のパワーを最大限に発揮して導こうとしないのだろうか? 何故、音楽のパワーを軽視するのだろうか?

 

鑑さんたちが退出し、再び司会者一人に戻る。トークは、まだまだ続く。

「[連歌 鳥の歌]の発起人の一人、黒田征太郎さんの「鳥の歌」の原画を掲載してある。黒田さんの作品が載っている『COYOTE』を、今日特別に持参して販売している」、とのこと。

黒田征太郎氏は著名なイラストレーター&画家で、もちろん存じ上げている。だが、2013年11月30日現在、[連歌 鳥の歌]の発起人リストページ(Founders)に、黒田征太郎氏の名前は無い。

いつの間に発起人になられたのだろう?

発起人なのだったら、何故、Foundersページに掲載されていないのだろう?

そもそも発起人とは、平たく書くと「言いだしっぺ」のことである。2013年12月29日のプロジェクト終了まであと約1か月。もうすぐ終了するというタイミングで、何故、発起人が誕生するのだろうか?

 

長い長いトークがようやく終了して、再び演奏に戻った。

身体はすっかり冷えきって、音楽を聴く氣分ではなくなっていた。

マラソンでいえば、ウォーミングアップが終わって身体がほぐれたところで、マラソンの歴史やマラソン手法、さらには「マラソン友の会の申し込み」についての長い長いレクチャーを聴かされた状態だ。本当は再びウォーミングアップからやり直しが必要だが、そんな悠長な時間は残されていない。

吉田兄弟の楽曲『ありがとう』で少しだけ身体をほぐした後、吉田兄弟の楽曲の中でも「確実に盛り上がる曲」が半ば強引にたて続けに演奏されて、ライブは終了した。

マラソンだったら、確実に失速している。失速しなかったのは、井上鑑さんの采配の確かさと、吉田兄弟はじめ演奏者の皆さんの演奏力によるものである。

 

なんとか無事にコンサートが終わり、演奏者10名がステージ上に並び、司会者によって一人ひとりが紹介された。

司会者は、吉田兄弟の弟、吉田健一さんの名前を知らなかった。ど忘れしたのではなく、知らなかった。さらには、吉田兄弟の兄、吉田良一郎さんの名前まで呼び間違えて、鑑さんにすぐさま訂正される始末。ステージ上、吉田兄弟の気まずそうな顔が心に突き刺さる。

吉田兄弟の名前は、兄弟揃って「一」が入っているという個性的な名前なのだ。普通の人だったら、「珍しいですね」と言いつつその場で覚えて忘れない。「吉田兄弟のライブに行って感動した」と書いていた司会者が、何故、名前ぐらい覚えられなかったのだろうか?

今まで、吉田兄弟ライブには、何人もの友だちを誘って出かけた。初めてライブに行った子たちも、「二人とも"一"がつくのって、おもしろいね。ご両親の愛情だよね」「おにいちゃんだけ"郎"がつくの、なんだかわかる」と、すぐに二人の名前を覚えてくれた。

司会者が、吉田兄弟に対して、興味なんかなかったことがよくわかる。

ならば何故、北海道出身の吉田兄弟をこのライブに呼び寄せたのだろうか?

[連歌 鳥の歌]演奏者リストを見渡せば、意図が透けて見えてくる。

 

そして、最後。もう一つ、奇妙な光景を目撃させられる羽目になった。

二つの花束を持って登場した司会者は、鑑さんとナターシャさんにそれぞれ花束を渡して、何か伝言。

「今回のライブは、イムズホールの方々に大変ご尽力いただきました。ホールの方々に花束を贈呈いたします」

イムズホールの関係者二名がステージ上に登場し、鑑さんが女性へ、ナターシャさんが男性へ、それぞれ花束を手渡した。

「イムズホールの方々には本当にお世話になりました。ありがとうございました」と、司会者は客席に背中を向けて、ホール関係者にふかぶかとお辞儀をする。

客は、摩訶不思議なこの光景に、とにかく拍手を続ける。

結局、わざわざ足を運んだ客に対して、司会者の口からお礼が述べられることは、一言も無かった。

司会者が満足げに去っていこうとするところを、鑑さんが慌てて「お客さんもありがとう!」と付け足して締めくくった。

ホール関係者にお礼をする場合、普通だったら、楽屋に戻ってから演奏者と関係者だけを集めて行われる。客まで巻き込んで拍手を強要したのは、どういう意図によるものだろうか?

見えてくるのは、招待客を最優先したとき同様の図式だ。

博多コンサートに、一般客は不要、だったんですね。

スポンサーがついてくれて、そして、招待客がきちんと賛助金を払ってくれたら目的達成、それでよかったんですね。

 

一連の[連歌 鳥の歌]コンサートに流れていた温かい心、人と人がつながる素晴らしさは、まったく感じられない博多コンサートだった。それどころか、今までの[連歌 鳥の歌]コンサートでどんなことが行われていたのか、「まったく知らない」または「完全無視」だった。何一つ、説明は無かった。

「私が発起人である!」と強調したいのだったら、今までの一連の[連歌 鳥の歌]コンサートでどんなことが行われて、どんなことに演奏者の皆さんやお客さんが感動したのか、知っておく必要があったのではないだろうか? 今までのコンサートでの流れを踏襲する必要もあったのではないだろうか? 一連のコンサートの流れとしてみた場合、今回の博多コンサートは「異質」のものになってしまっている。

 

今回のチラシそのものが、全体の流れからかけ離れてしまっていた。

ライブが決まったのは10月初頭、その時点ではすでに12月のライブまでのチラシが完成していた。後から決まったライブであるにも関わらず、すでに行われたライブや先に決まっていたライブのチラシすら確認していない(あるいは確認しても無視した)ことが、傍からでもわかってしまうのだ。

11/13開催の[ムジカーザに響く・鳥の歌]

12/17開催の[ブルースアレイに響く・鳥の歌]

今回のライブは、その間、11/28の開催である。

プロジェクト全体として考えたら、こんな「素敵なチャンス」はなかった。いわゆる「3の効果」を最大限に発揮できるタイミングであり、「イムズホール」という名前は、響きからみても最高のタイミングだったのである。何故か、絶好のタイミングをみすみす逃してしまっている。

ビジネスをなさっていながら、「3の効果」をご存じなかったのだろうか?

ご存じにも関わらず、それでも「ご自身のパフォーマンス最優先」だったのだろうか?

 

今回の博多コンサートは、一つのプロジェクトの中のコンサートとして行われている。プロジェクトとはいわば、会社だ。その会社内で何が行われているのか、社員が何に興味があるのかまったく知らない状態で、きちんとした経営ができるのだろうか?

 本社や他支社・他部署と密に連絡を取って連携をはかったうえで運営しなくては、一つの会社としての統一感がなくなってしまう。他支社や他部署の状態や社員の興味対象を知っておくのは、経営者として必要不可欠ではないだろうか?

あなたの会社は、社内がどうなっていようと社員が何に興味をもっていようと、「知ったこっちゃない」会社なのだろうか? そうだとしたら、あなたはまるでフランコだ。

 

パブロ・カザルスの『鳥の歌』には、カタルーニャ文化の存在を切り離すことはできない。カタルーニャ文化は、「人々の団結」に最も重きを置く文化である。誰か一人の突出した主人公やパフォーマーを生みだすのではなく、関わるみんなが均等で平等な役割を担うことに重きを置いている。

そう、司会者が今回行った行為とは、完全に正反対なのである。

カタルーニャ人として誇りをもって生きていたカザルスにも、カタルーニャの文化と精神が生きている。カザルスの『鳥の歌』に関する書籍を読んでみたら、そのことにも気づくはずだし、今回のようなパフォーマンスショーにはならなかったはずなのだが……。

 

この空しさと蟠りは、京都イベントで感じたものとまったく同じだった。

大きな溜息が出てしまった。

 

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